漢詩パズル

漢詩をパズル形式で作る漢詩パズル

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蘭亭曲水の宴

第二十四回 中国蘭亭書法節

  第二十四回 中国蘭亭書法節

曲水の宴は、人造のS字に曲がりくねったわずか一~二m幅のせせらぎに、上流より紹興酒の入った杯を浮かべ流す。その曲水のせせらぎの傍に各々が坐し、自己の前まで杯が流れてきた時に漢詩一詩が作成できていなかったら、罰として酒杯を飲み干すという、風流な歌会である。これの由来は三五三年、東晋時代の書道の聖人と称される王羲之により始まるという。書道において天下に冠たる王羲之が、三月三日、上巳の日に、名士四一人を集め、開催した歌宴であった。宴終了後、王羲之は、その日の事をその曲水の傍で文章に書き残した。「…天朗らかに気清く、云々」と、そして後にその文章を『蘭亭叙』と言われ、書作品の天下の至宝として尊ばれるようになった。たぶん日本の京都での「曲水の宴」もこれに因むのであろう。書道を愛す者、漢詩を好む者が一度訪れてみたい地は、この紹興にある蘭亭に外ならないであろう。王羲之の文面にすでに「蘭亭に集う」とあり、当時の状況を彷彿するかのように、幽径に脩竹(細長い竹)が植えられ、曲水を作り、書を揮毫する亭、墨華亭、王羲之が愛したという鵞鳥が泳ぐ池、雅趣極まりなき庭園である。rantei00_1

ここを蘭亭という。この蘭亭では一九八一年頃より、蘭亭書会というものが始まり、一六〇〇年を超える東晋時代の様相で上巳の日(三月三日頃)に行われるようになり、今回で二十四回を迎える。一八八六年には、日中交流蘭亭会が始まり、一八八七年には、日中の巨匠が蘭亭書会をし、この様子は一部始終、日本のテレビでも放映されている。二〇〇〇年には韓国やそれ以外の国も参加している。二〇〇一年には中日韓の三国で行っている。今年二〇〇八年は中日韓の三国で行われ、中国側代表は、一九八七年日本でテレビ放送された時にも参加していた現在中国の巨匠、しゅかんでん朱關田先生であった。韓国側の代表は、韓国書道界の重鎮、韓国東方研書会会長のろげんきゅう呂元九先生であり、日本側は、私、暁書法学院院長、林田暁径であり、中国、韓国の先生方は、長老であり、そこに私のような若輩者が名を列ねたことは大変恐縮であったが、代表に選ばれた以上、書道と漢詩を披露する場であるので、胸の鼓動も高まりこの日の蘭亭会に深く陶酔していった。国境を越え交流の宴を結ぶ晴々しい時間がついに訪れた。最初、蘭亭の一番奥に位置する墨華亭で開幕式が行われ、今後の中国書道界を担う中国少年少女蘭亭展覧会の受賞者に私を含め各国代表より賞状の授与が行われ、続いて、墨華亭の段上にて、向かって左から日本、中国、韓国の代表が揮毫を行った。私はこの時日本より作ってきた七言律詩を行草体での揮毫を行った。作った七言律詩は五六字あり、即席揮毫(その場で書く)には少し字が多いので向かないかもしれないが、絶句より律詩の方が作る人が少ないのと、行草体であれば比較的速く書け、また、中国での日本人の行草体は、注目を引くという事もあった。七言律詩は以下の内容である。

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永和情叙日邉開      永和の情叙日辺に開かれ
翰墨吟詩坐客杯      翰墨吟詩坐客の杯
柱二褚臨蘇米跋      柱二褚臨蘇米の跋
第三馮榻項元推      第三馮榻項元の推
流觴曲水激湍繞      流觴曲水激湍繞り
脩竹茂林琴笛回      脩竹茂林琴笛回る
無主鵞池戯水鳥      主無き鵞池水鳥戯れ
羲之俯仰不堪哀      羲之、俯仰すれば哀みに堪えん

昔の東晋永和の年に行われた曲水の宴、日中に行われる書道の揮毫、詩を詠じ招かれ酒を交え参加する。王羲之の書いた蘭亭叙はかつて圓明園の柱に八つ刻されたが、その内の第二は唐代の書家?遂良の臨書であると、そき蘇耆、米?の書の跋があり、第三は、ふうしょう馮承の榻?であり、項元卞の推挙がある。曲水に酒杯を流すのは琴や笛の音の中、今は鵞池には主人である王羲之は無く、水鳥が泳ぎ回る。王羲之が下を向き上を仰げば時は流れ、もう王羲之は過去の人となり、人生はまことに儚い、この哀しみに堪えられようか。

続いて曲水の宴に入る。S字になった渓流の傍に丁度、腰を掛けることができる岩石が二十程置いてあり、そこに掛ければ目の前を水流に浮かぶ酒杯が通る。我々は一応座席が決められていて、そこに坐った。三国の代表はだいたい中央部に坐った。まず、詩を作る前に酒杯が流され、我々のそばには、東晋時代の衣裳を着た少女たちが前を流れる酒杯を汲み取ってくれる。中には紹興酒が入っている。この酒の度数は日本酒と同じと考えて戴ければよい。その酒杯は日本のおちょことは違い、100㏄程入る楕円形(カレーライスの器を小さくしたような形)で、詩を作るのに丁度良い和らぎを全身に与えてくれる。そして三〇分程時間が過ぎ、詩を各自が発表する。詩ができなかった人への罰は無かったが、私は幸いに二詩作った。一詩作った人、二詩作った人、またできなかった人もいたが、それはそれ、流れる杯を汲み酒を飲み干し愉快な気分になり、詩を作った人は、またその場でその詩を揮毫し、楽しんだ後、ほろ酔い気分で蘭亭を散歩、散策し楽しんで一日を過ごした。

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即興で作った詩二首

指頭象鵞墨如蘭     指頭鵞を象り墨は蘭の如く
脩竹春風喜交歓     脩竹、春風喜んで歓を交える
一詠一觴勾越地     一詠一觴、勾越の地
古来劇跡有詩壇     古来の劇跡詩壇に有り

筆を持つ指の形はかって王羲之が筆を持った方法、鵞鳥の姿のようにし、墨は蘭を描くかのように美しく、長い竹と春の風、ここに交流の喜びを迎える。一度歌い一度飲むのは、昔の越王勾践が王であった地、また、古来よりこの劇跡、蘭亭叙は詩会の中より生まれたのであろう。
癸丑集亭中日韓     癸丑亭に集う中、日、韓
雨晴佳節萬邦安     雨晴れ佳節、萬邦安らかに
奏琴吟詠交流宴     琴を奏し吟詠す交流の宴
畢至文人再拝難     畢く文人至り再び拝し難し
 
癸丑の日に蘭亭に集まった中国、日本、韓国の人々、雨も晴れ佳節、世界は安らかである。琴を奏で詩を吟ず交流の宴、たくさんの文人がこの地に到って再び会見することは困難であろう。